前回より続き~
さて、このB子さんの話には、もう一つ大事なポイントがあると思い
ます。
それは、「相手からの見返りを期待せずに、感謝を行動で表す」という
ことです。
もしB子さんが、お母さんからの見返りを期待していたら、肘でっぽ
うをしてくるお母さんを受け入れることはできなかったと思います。
相手からの見返りを目的にするのではなく、「相手を喜ばせること」
「相手に感謝の気持ちを伝えること」を目的にしてこそ、行動し続け
ることができ、ついには、相手の愛を引き出すことができるのです。
ここで大切なのは、善悪の判断をしないことです。
「私は、『感謝の言葉を伝える』という“善いこと”をしているのに、
相手は肘でっぽうを返してくるなんて!どう考えても相手が悪い!」
などと、善悪の判断をし始めると、常に相手を裁くようになってしま
います。
「善いか悪いか」「正しいか間違っているか」の二元論で物事を考え始
めると、自分が正しくて相手が間違っているように思えてきます。
そして、人の判断基準はそれぞれに違いますから、皆が「自分が正しい」
と信じるようになり、「正しさ」と「正しさ」の戦いが始まるのです。
ですから、善悪二元論という“ものの見方”をしていることに、まず気
づく必要があります。
エデンの楽園に住んでいたアダムとイブが、なぜ楽園にいることができ
なくなったか、ご存知でしょう。
蛇にそそのかされ「善悪の知識の木」の実を食べてしまったからですね。
以前、「鏡の法則」を読んだ友人から、次のような質問をされたことが
あります。
「人生が、自分の心を映し出した鏡だというのはわかる。
だけど、すごく心が清く正しいのに、ツキのない人生を歩んでいる人が
いるのはなぜ?
清く正しい心の持ち主なら、もっと豊かな素晴らしい人生を送ってもい
いと思うんだけど。」
清く正しい心の持ち主にもいろいろなタイプがあるとは思いますが、
「自分が清く正しいがゆえに、人の悪が許せない」というタイプの人が
いますね。
正義感が強すぎて、悪を憎み、悪に対して怒っている人です。
心の底で人を裁いていると、自分が裁かれるような人生になってしまう
んですね。
私たちは、「善悪の知識の木」の実を、一度吐き出す必要がありそうです。
「善いか悪いか」「白か黒か」という二元論ではなく、多様性を受け入れ
るだけの“ファジーさ(曖昧さ)”が大切です。
私の本「幸せ成功力を日増しに高めるEQノート」でも、健全なビリーフ
(合理的な考え方)が“ファジーさ(曖昧さ)”を含んでいることをお話
しました。
さて、もう一つB子さんに関連して、おねしょの話です。
おねしょの原因もいろいろあるとは思いますが、悲しみを我慢している
ことがおねしょの原因になることがあります。
本来、悲しい時は、思いっきり泣くのが一番です。
涙がかれるまで泣くと、少し楽になることが多いはずです。
しかし、B子さんのように中学生になると、泣くのを我慢するように
なります。
あるいはB子さんは、小さいころから泣くのを我慢していたのかもし
れません。
すると、涙で悲しみを洗い流す代わりに、おねしょとなって流れ出るこ
とがあるのです。
つまり、おねしょによって悲しみを流そうとしているのですね。
ですから、子どもが心の底から安心できたり、子どもの悲しみが癒され
たりしたことで、その子のおねしょが治ったという例は、枚挙にいとま
がありません。
前回の記事でご紹介した高木さんのご著書「非対立の生きかた」の中に
も、子どもさんのおねしょが一瞬で治った例が出ていました。
by野口嘉則